2024年11月のトレーニングを振り返って
2024年11月(30日間)の総走行時間は240分。1日当たりの走行時間は8分。
2024年1~11月(335日間)の総走行時間は7923分。1日当たりの走行時間は23.65分。
2023年11月(30日間)の総走行時間は760分。1日当たりの走行時間は27.03分。
2023年1~11月(335日間)の総走行時間は9054分。1日当たりの走行時間は25.33分。
2023年11月
筋肉トレーニング時に使用するバーベルの負荷(重さ)を増やした。負荷の増量は一気にではなく様子見程度。ケガは防ぎたいので慎重に。上半身と下半身それぞれ負荷を増量したが下半身は増量の影響はほとんど無かった。反対に上半身はややキツく感じた。慣れるまでしばらく時間が掛かるだろう。ケガをしない様にとは思うが下半身のトレーニングに関してはもっと負荷を増やしても良いのではないか?と感じた。
試しに一部の種目(デッドリフト)でバーベルの重さを増やしてみた。10kgの増量。腰は今まで散々怪我をしてきた。ロードバイクの乗り過ぎでの腰痛。ウェイトトレーニング中の怪我。冬季間における除雪作業でのぎっくり腰などである。それらを踏まえると慎重にならざるを得ない。まずは恐る恐る40kgで数回持ち上げてみた。
今までよりも格段に重い。しかし持ち上げられないほどでは無かった。あせらず、ゆっくりと慎重にバーベルを上げ下げした。腰の部分にズシリと重みつまり負荷がかかった。すんなり持ち上げられたとは、裏腹に負荷はしっかり腰にかかっていたようだ。幸いにして痛みなどの症状は出なかった。
暖かい日々が続いていた地元。それが急転直下。気温は10度を下回るようになってしまった。ノースリーブのインナー、そして丈の短いレーサーパンツでトレーニングしていた。長袖のインナーシャツ、そしてレーザーパンツの下にはタイツを着用。そして、トレーニング中のレスト走行時には肌寒くなり、ウィンドブレーカーを着る様になった。北風がピューピュー。いわゆる冬の季節風が吹き荒れる天候になり始めた。
それにしても今ひとつ身体にそして足に着用するものが馴染んでいない感じがする。クリートのついたシューズ、靴下、レーザーパンツ、ジャージ手にはグローブといろいろ身に付けてトレーニングを行う。その一つ一つが身体にフィットしていない感じがする。確かに自分のものなのだが、どこか借りてきた様で身体に馴染まない。これもトレーニング不足の影響だろうか?思いもしない影響が出るものだなぁ〜と感じた。
ローラーの負荷を『3』から『4』に変更した影響はやはり大きい。途中で力尽きる事が多かった。負荷の増加にまだ慣れていない事も影響していると考えられる。しかし一番はトレーニング不足だ。とにかく乗り込んでいくしかない。闇雲に負荷を上げてトレーニングを行っても力尽きてばかりでトレーニングにならない!と一時期(10月)は考えた。しかしここまで来たらヤルしかない。
2023年11月はこんな感じでした。
2024年11月
9月8日の日曜日からしばらくの間ロードバイクに乗っていなかった。加えて矢島カップが中止になった辺りから数えると100日以上はロードバイクに乗らなかった。モチベーションが切れたからだ。理由はエントリーをしていた矢島カップ(タイムトライアルのみ)が大雨の影響で開催が中止となったから。また、昨年(2023年)は自宅が大雨のために浸水しエントリーしていた矢島カップに参加出来なかった。
偶然とはいうものの2年続けて自分とは全く関係無い、そして自分の力が及ばない理由で参加を予定していた矢島カップに参加出来なかった事に嫌気を覚えたからだ。
加えて母の死去である。具合の悪かった母は今年の春辺りから病状が悪化した。入退院を繰り返し、そのたびに具合が悪くなっていくのが目に見えてわかるのだった。そして8月15日に救急搬送された。それ以降、寝たきりの状態になった。会話することもままならないくなり、コミニュケーションは全く取れなかった。リハビリを行う方針ではあったが、意思疎通が出来ないので実施する事が出来なかった。
医師からは治療を続けても今後、劇的に治る見込みは無いと告げられた。家族で今後の治療方針について話し合ってほしいと言われた。要は身体中に管を装着し命を保つのか?それとも劇的に治る事が無いので最低限の治療を施し、母の体力が尽きるのを見守るのか?である。
家族との相談の結果、母にはこれ以上苦しい思いをさせたくない!という事になり最低限の治療施し母を見守ることにした。その後、数回危篤状態に陥った。そのたびに病院から呼び出しがあり、母の元へ駆けつけた。そうしたことを繰り返し10月25日に母は天国へ召された。
母の入院中。そして死去後は精神的にも身体的にも落ち着かない日々が続いた。ロードバイクには乗る余裕が全くなかった。そして母の死去から。3週間が経ち久しぶりに労働バイクに乗ったわけである。
100日以上ロードバイクに乗ってなかった影響か時速30km以上で走行すると息が上がり走行を続ける事が出来なかった。自分でもここまで体力が落ちているとは思わなかった。100日以上もロードバイクを乗っていなければそうなるのは仕方がない。でも、ショックな事は間違いない。また体重も体脂肪率もかなり上昇した。これもショックを受けた1つだ。
当面はロードバイクに乗ると言う習慣を再び身に付けそして速度や走行時間に耐えられるように体力の回復をさせていきたいと考えている。それにしても、がったりと体力が落ちたなぁ
20日までは40分程度走行してから速度を徐々に上げていく形だった。今日は15分弱(14分)で徐々に速度を上げていくようにした。これまでは40分程度走行してからだった。終盤は疲労が溜まる一方。そこから徐々に速度上げていくと最後のほうはキツくて耐え難い状態になった。
少し回数を重ねると苦しい事に変わりはなかったのだが、前よりは余裕を持って(ほんの僅かだが)走行する事が出来た。30分程度でウォーミングアップを行い、今までとは違ったトレーニングメニューを実施するのも悪くはない。大丈夫だと思う。しばらくは速度アップによる息苦しさに根を上げる事になるだろうけど・・・・
2024年11月はこんな感じでした。