2019年第二回
八幡平ヒルクライムに参加して
思っていたより他の選手達の出足が緩やかだ。スタート直後のキツい坂を知っているのだろう。無理をするより様子見をしている様だった。34×21Tのギアで十分先頭集団についていく事が出来た。しかしそれも約2km地点まで。
先頭集団から自分は徐々に離れていった。先頭集団の選手たちは会話が出来る程の余裕があった。先頭集団が速度を極端に速めた訳ではなく自分の速度が落ちていってしまった感じだった。
進めば進むほどそして時間が経過すればするほど先頭集団は離れてそして見えなくなっていった。
単独での走行となった。自分との闘いそして自問自答をする事になった。
それにしても苦しい。こんなに苦しくなるほどだったろうか?苦しくなるのが早過ぎないか?そういえば自転車を修理していた間は練習が出来なかった。練習不足だからこんなに苦しいのだ。
また、それを除いたとしても全体的に坂を上る練習が足りなかった。特にキツい勾配の坂を登坂する回数が少なかった。だからこんなに苦しいのだ。思い浮かぶのは練習不足の事ばかりだった。
余りにも苦しくてレースを断念つまり棄権をしようと何度も考えた。自転車から降りればこの苦しみからは解放される。
しかし自分を送り出してくれた家族(家内と次女)に申し訳が立たない。八幡平まで来て棄権となればお金と時間を捨てる様なものだ。
それだけは嫌だった。昨年よりタイムはかなり遅くなるだろう。でもとにかくゴールには辿り着こう!と考え直したのだった。
それにしても全く速度が出なかった。時速で10km前後。一桁の速度になる事も度々だった。他の選手たちは難なく上っていく。自分一人だけ時間が止まっている様だった。
多少速度が上がるのは緩やかな所だけ。肝心のキツい場面では全く速度が上がらなかった。ダンシングを試みても速度は上がらないのだった。とにかく目の前の坂を少しづつ上る事しか出来なかったのである。
そしてまたしても腰痛に見舞われた。その度にダンシング走行で腰を反らして痛みの軽減を図った。やはりキツい勾配での走行(回数も時間も)が少ない影響だろう。
腰が負荷に耐えられなくなり痛みが出るのだろう。不思議なものでレース直後は別として時間が経過していくにつれて痛みは引いていくのだ。翌日には全く痛みは感じない。
先行している選手を追い抜く事はほとんど無かった。後続から来る選手たちに追い抜かれていく事が多かった。八幡平のアスピーテラインつまり今回のコース。このコースは前半から後半の始まりにかけて勾配がキツい(だからと言って他がキツくないという訳ではない)
距離で言うと12~14km地点までがキツい印象を受けた。そこを過ぎれば下りや平坦部分がある。速度アップそしてタイム短縮が出来る。途中棄権を考えながらも何とかキツい区間をやり過ごした。
ゴールまで残り5kmを切るとそれまでのキツい走行がそれほどではなくなってきた。下りや平坦部分を利用し出来るだけ速度アップを心掛けて走行した。そして頂上付近は霧がかかり始めた。
いわゆる「ガス」である。山の天候は変わり易い。先日までは猛暑が続いていた。しかし夏と秋の空気が入れ替わったのでこのような気象となったのだろう。
先ほどまでは麓が眺められるほどだったが視界が急に悪くなった。視界としては50~100m位か。自分の周りにいる選手は視認出来る距離で走行している。
幸い少人数なので混乱は起きない様子だった。そうしているうちにゴールまでは残り4km、3kmと徐々に近付いていく。
ただ自分を含めてゴールが近付いてきている事が十分に分かっているらしく軽い牽制状態になった。特にこの時点で優勝や入賞を狙う立場の選手達ではない(自分を含めて)ただゴール直前で他の選手には抜かれたくない!と考えている様だった(自分も)
他の選手達の先頭には出たくないという気持ちが手に取る様に分かった。他の選手に風受けになって貰い力を温存している選手もいた。それぞれの選手がゴールを前にして思惑を巡らせていたのである。
自分は集団の先頭を僅かの時間の間引いてみたり、他の選手の後ろに付けて体力の温存を図っていた。他の選手たちと同様の事をしていたのである。
霧が濃くかかって(ガスって)ゴールまでの距離が分からない。よほど近くまで進まないと見えないのだろう。沿道で応援している観客が叫ぶ。「ゴールまであと少しだ!」こちらとしては「あと○○メートル」と言ってもらえたら助かるのに‥‥と勝手に考えた。
そして濃い霧の中、突然ゴールが見えた。最後の力を振り絞りペダルに力を込めた。周りに数人他の選手がいたはずだが今となっては追い抜いたのか追い抜かれたのかは覚えていない。ゴール直前で一人追い抜いたのは覚えているが‥‥