フロー(flow)な私にしてくれ

興味が湧くなら何でもアリ。ストライクゾーン広めで綴ります

2019年に参戦したレースを振り返って3/3 矢島&八幡平

第33回矢島カップに参加して 1stステージ 


2019年の今年はタイムトライアル(初日)とヒルクライム(二日目)にエントリーした。

 

タイムトライアルは13分02秒56。エントリーした男子Eクラスでは72人中14位。ヒルクライム1時間23分30秒42。エントリーした男子Eクラスでは192人中26位。総合で679人中167位。


今までのタイムトライアルでのリザルト
2012年 12分54秒39 
2013年 12分46秒18 
2014年 13分02秒55 
2015年 13分20秒39 
(2016年はDNS
(2017年はヒルクライムのみ参加) 
(2018年は参加せず)

 

4年ぶりのタイムトライアルへの出場。ヒルクライムに専念する時期もあった。しかし参加は出来ないが9月に秋田県美郷町で町内の公道を使用したロードレースが開催される。

 

そのレースに参加する為の練習という目的がありタイムトライアルに参加したのだ。タイムは前述の様に13分02秒56。もう少しで12分台だった。惜しかった!


当日の出走時刻は14時07分30秒。余裕を持ってレース会場近くの宿に午前10時過ぎに入った。当日は日射しはそれほど強くないがかなり蒸し暑い。

 

しかし宿に入れば暑さは外にいた時よりも凌げる。早めの「チェックイン」は非常に有難かった。午前11時に昼食。一休みをして12時過ぎからウォーミングアップを開始した。


7月6日の「きたかみ夏油高原ヒルクライム」のタイムトライアルではウォーミングアップにローラーを使用した。今回は使用しなかった。

 

何故ならば気温と湿度が高い事が予想されたからだ。また屋根がある場所に来るかを駐車出来るか分からない。炎天下の中でローラーでウォーミングアップしているうちに体調を崩す恐れがあったからである。


自転車を組み上げた後走行開始。10~15分ほどゆっくり走行し身体を温める。その後タイムトライアルのコースの試走に出掛けた。コースを走行した経験があるものの4年ぶりだったので確認しておきたかった。


他の選手たちもコースを試走している。このコースはスタート後は向かい風、ゴール手前は向かい風である。

 

しかしゆっくりした走行なので風の向き、強さが今一つ分からなかった。コース上の勾配の程度、坂の勾配や長さを確認する。折り返し地点に到着した。


折り返し地点で走行方向がそれまでと180度変わる。下り坂が上り坂となる。このタイムトライアルのコースは後半がキツい。折り返した直後に長い上り坂があるのだ。ずっと続く坂道である事に変わりは無い。しかし3回勾配がキツくなるのだ。この部分をいかに早くそして速くクリアするかがタイム短縮のカギとなる。


ピークが3回ある上り坂を終えると一気に下る。その下りを利用しての速度アップをゴールまでの勢いとして大いに利用したい。

 

しかしゴールまでは向かい風。加えてゴールまでは先ほどまでの坂ではないがダラダラの上り坂。

 

このダラダラの坂がゴール一歩手前に迫ろうとする選手たちを大いに苦しめるのである。


タイムトライアルのコースを試走した後、翌日のヒルクライムのコースである坂道に辿り着いた。坂道を利用して今日のスタート直後の坂を想定したウォーミングアップだ。


ギアは50×19T。ほぼ停止した状態で坂の下からダンシング走行で坂を上る。

 

100~150mほど走行した。これを3回繰り返した。蒸し暑かったので3回上っただけで汗が流れ出る。水分補給を怠ってはいけない。


決戦用のフロントホイールが重く感じる。パンクや故障という訳ではない。回りだせば重さは感じない。しかし坂の下からではスタート後そのホイールの重さが仇となるかもしれないと感じた。

 

今まで使用してきて(とはいっても4年ぶり)重さを感じた事は無かったのだが‥‥


悪い予感は当たる。それが今回のタイムトライアルに影響を及ぼすとはその時思いもしなかった。もっともその影響は自分自身のミスである。そのミスについては後程、述べたい。


坂を上った後、平坦な道で300mダッシュを1本。その後一旦車をおいてある宿に戻り車体の点検、水分と食べ物の補給をしてタイムトライアルのスタート地点へ向かった。


競技は13時から始まっている。スタート地点には多くの選手が集まってきていた。スタッフが点呼を取る。

 

車体に取り付けられたナンバーカードとジャージの背中に取り付けているゼッケンの番号があっているのか確かめてくれる。


スタート時間が迫りスタート台に上がる。両方のペダルに両方のビンディングシューズをカチリとはめる。そしてスタート!4年ぶりのタイムトライアルが始まったのである!


ギアは50×19Tでスタート。先ほどのウォーミングアップ同様ダンシングでスタート直後の坂を上る。

 

やはり重い感じは拭えない。坂を終えて平坦へ。平坦といっても実は若干下っている。それを利して速度を上げにかかる。リアは17T→15T→14Tへと変化。速度は時速40kmを超えた。


速度には問題ない。しかし緩やかだとはいえ下り坂。しかも追い風(たぶん?)であるのに重い感じがする。疲労を早くも感じている。今一つ自転車と一体になる事が出来ていない。しかしそれでも自転車は進む。


最初の上り坂に到達。ギアの変更(下げる)はギア比は高いがいける所まで我慢。堪えきれなくなりリアは19T。フロントは「50」のまま。若干重く感じるがそのまま坂を上る事にする。


坂を上り切る前にギアを変更(ギア比を上げる)すると速度が落ちる。坂を上り切り下りに入って速度が上がり切った所でギアチェンジ!

 

折り返し地点までは下り坂。結構な距離となる。折り返してからは結構な距離の上り坂に変貌するが‥‥


下りを利して速度を上げにかかる。そしてケイデンスを上げる&保つ。時々脚を休ませ次に迫りくる上り坂への準備をする。コースの半分でかなりの疲労を感じている。直後の上り坂に対応出来るだろうか?と不安になる。


折り返し地点の標識を右回りでクリア。わずかな平坦部分を「助走」にしてピークが3回ある上り坂に突入していった。

 

最初の上り坂同様ギアは50×19T。ケイデンスよりも筋力で上り切る事にした。


フロントギアを「34」にするよりも力は使うが息はそれほど乱れない。上りが緩むとリアのギアを19Tから17Tへ。

 

そしてキツい上りが始まると19Tへ変更とそれを3回繰り返した。はっきりとは覚えていないがまずまずの速度でピークが3回ある上り坂をクリアしたと思う。


次はゴールまで最後の下り坂。速度を上げるだけ上げてゴールまで!と思っていた。

 

しかしそれまでの疲労が考えていた以上に蓄積されてた様だ。速度を上げなければいけない下り坂で脚を休ませてしまったのである。下り坂部分で出来る事は身体を屈めて空気抵抗を減らす事ぐらいだ。


下り坂はあっという間に終わった。後はゴールまで!だがそう簡単にはゴールさせてくれなかった。下り坂を利用した速度を保とうとしてギア比は高く(50×13T、14T)ケイデンスは出来るだけ保とうとした。


しかし勾配は緩いもののダラダラ続く坂。加えて向かい風。そして自分自身の疲労。いくらペダルを回しても近づいてこないゴール。

 

速度はみるみる落ちる。時速で33~36kmを出すのが精一杯。ラストスパートをするだけの余裕がない!

 

疲労困憊のままようやくゴールに辿り着いたのだった。タイムは13分02秒56。エントリーした男子Eクラスでは72人中14位という結果だった。


あわよくば自己記録更新(12分46秒)を目論んでいた。しかし18秒及ばず!だった。4年ぶりにしてはまずまずなのかもしれない。

 

ゴールまで疲労困憊していた部分でもうひと踏ん張り出来ていたら12分台だったかもしれない。後悔しても遅い。


前述のミスについて。2つある。1つ目は重くても良く回るホイール、つまり今回のタイムトライアルで使用したもの。

そのホイールで走行を重ねていなかった、つまり練習不足が走行中ホイールに重さを感じてしまった原因だと考えている。

 

良く回るという利点ばかり見ていてそれを(ホイールを)使いこなすという視点に欠けていたのではないだろうか?


2つ目はパワー不足。これも練習不足だろう。坂の下からダンシングで(ギアは50×19Tや17T)坂道を上る練習が足りなかった。これも重くても良く回るホイールを自分のものに出来なかった原因だ。


後悔や反省は今後に生かしていかなければ意味が無い。今年参加するレースはもう一つ(八幡平ヒルクライム)残念ながらそのレースにはタイムトライアルは無い。今回の後悔や反省は2020年のタイムトライアル競技で挽回したい。


さて次はヒルクライムだ。こちらは2年ぶり。タイムトライアルと違って良い意味で緊張感が少ない。大勢で一緒にスタートするからだろう。

 

かといってレースそのものが楽だという訳ではないのだが。どうなるか?

 


 
     二日目 ヒルクライム


今までの矢島カップでのヒルクライムでのリザルト
2012年 1時間21分50秒 
2013年 1時間16分07秒 
2014年 1時間21分46秒 
2015年 1時間20分55秒 
(2016年はDNS
2017年 1時間23分17秒
(2018年は参加せず)


さて、二日目のヒルクライムである。2年ぶりだ。当日は午前4時30分過ぎに起床。宿泊させてもらった民宿では午前6時から朝食を準備してくれるという事だった。

 

ヒルクライムレースの前にしっかりと食事を摂れるのは非常に有難い事である。早めのチェックインなど至れり尽くせりである。


朝食までの間ウォーミングアップを行う事にした。またヒルクライム終了後に受け取る荷物(着替えや雨具が入ったリュック)を大会本部の担当へ届ける事にした。


午前5時過ぎに宿を出発。早朝という事もあり涼しい。でも湿度が高く蒸し暑くなりそうな日になりそうだ。

 

レース中は出来れば日射しが弱くあわよくば曇ったままの天候であればラッキーなのだが‥‥そうもいかないだろう。


街中を通り抜けてタイムトライアルの前に行ったウォーミングアップに使用した道を上る。ゆっくり上る。昨日より先まで上って行った。

 

2年ぶりの坂だがキツいのは相変わらずだ。路面は所々穴が空いていたり補修を繰り返した結果凸凹になっている場所があった。


その様な所は避けて走行したい。しかしレース本番では集団で走行するのでこちらの意図する通りにはなかなかならない。ゴールまでは約27km。色んな路面状況に遭遇するのだろう。


長い時間&距離を乗っても疲労が溜まるだけだ。20分ほど登坂したところで引き返した。ゴール後に受け取る荷物を大会本部の担当部署へ届けて朝食を摂るために宿に戻った。


選手の召集は午前7時45分。召集場所までは宿から5分ほど。時間には余裕がある。ゆっくり朝食を食べた。緊張して食欲があまり無かった。しかしここで無理にでも食べておかないとレース中にハンガーノックに陥る。

 

食べたい訳では無かったがご飯をお代わりしてエネルギーを貯める。それでも今回は食欲がある方だった。


朝食後、身支度、寝床周辺の整理整頓。有難い事にレース終了まで宿に荷物を置いたままでも良いとの事。

 

加えてレース後には無料でシャワーを利用させてくれるという事である。この配慮は大変有難かった。


レース前の落ち着かない時に忘れ物をしがちだ。宿を引き払わなければならないとともにレースへの準備を行わなくてはならない。非常に煩わしい。慌ててしまう。

 

でも荷物を置いて置くことが出来れば手間が省ける。またレース後、汗を流して帰宅出来るというのは気分が良い。宿からの配慮は大変有難かった。


準備を終えて召集場所へ向かう。ヒルクライムレースのスタート前に町内をパレードする。その後エントリー区分ごとにそれぞれスタートしていくのだ。


エントリーしたのは「男子Eクラス」。そのカテゴリーのスタート時刻は午前8時28分00秒。号砲一発!スタートである。


前半戦は「花立」までの13km。標高差は400mほど。大会関係者はこの「花立」を過ぎてからが本格的なヒルクライムだ!と言っている。

 

しかし自分はそうは感じない。最初からキツい上りで最後までその上りが続くというイメージだ。


正確な時間や距離は把握していないが前半の前半部分辺りまでは「Eクラス」の先頭集団付近にいて走行していたと思う。

 

ギアは50×19Tで走行している場面が多かった。フロントを「34」にしてケイデンスを上げるよりも筋力で上って行った方が息が切れないと考えたからだ。


以前、自分は筋力で走行するタイプでその反面、心肺機能が劣っているかもしれないという事が分かった。その劣っている点を補う練習を続けていた。

 

しかし同じ速度で登坂するなら心肺機能を疲弊させるより筋力で上った方が得策ではないか?と思い付きその方向で登坂したのだった。


前半はその策が上手くハマった。しかし後半過ぎにはそれが裏目に出るとはこの時点で考えもしなかったのである。


それはさておき、勿論、劣っていると考えられる心肺機能の練習、鍛錬は今後も行わなければならない。

 

しかし自分の特徴あるいは有利な点を押し殺してまで走行する事は無いのでは?と考えている。特徴を生かしつつ弱点を補強する方向が良いと考えている。


前半の半分過ぎからは先頭集団からは離れてしまった。そして先にスタートしたカテゴリーの選手達を追い越す事が多くなった。

 

自分の位置が全く分からない。もうここからは自分とそして坂と向き合う「独走」状態である。


さすがにギアは34×19Tになっていた。それでも19T以下(21T、24T、28T)にギアを変更する事は無かった。我ながらビックリしていた。

 

結構上れるものである。天候は晴れたり曇ったり。時折強い日差しが照り付けて来る。そんな時はウンザリだが長くは続かなかったので幸いだった。


「花立」に到達する前にダウンヒルが続く。その下り坂まで来た。それまで坂に喘いできた選手たちは一気に速度を上げる。

 

自分もそれに続く。示し合わせた訳ではないが自然と選手たちは一列棒状のいわゆる「トレイン」が組まれる。


先行している選手の後ろに付いて走行する事で空気抵抗が減る。ドラフティング効果だ。

 

ペダルを回さなくとも先行選手に引っ張られるかの様に自転車が進んでいく。脚を休ませるには絶好のタイミングだ。自分もそれに乗じて脚を休ませる事が出来た。


ダウンヒルが終わり「花立」通過を前にして再び上りが始まる。トレインはそのままだ。

 

登坂では速度が上がらずドラフティング効果は無いに等しいと聞く。しかし前に選手が居ると居ないとでは全く違う。

 

ここでも先行選手の後ろに付いて気持ち的には楽な登坂を続ける事が出来た。


しかしそれが失敗だった。失敗だった!と分かったのはレース後しばらくしてからだ。「楽」な登坂を長い時間続けてしまったという事だ。

 

登坂ペースが遅かったのだ。だから「楽」だったのだ。この部分でタイムを2~3分は失ってしまっただろう。


前半部分(レースの半分)を手前にしてつまり、まだもう半分上らなければいけないという事が頭をよぎり「楽」なペースの集団から飛び出す事を躊躇したのだろう。

 

この集団のペースでいけば大丈夫だと思い込んでしまったのだ。


2年前は両脚を痙攣させながら加えて腰痛に見舞われながら登坂して1時間23分17秒。今年は1時間23分30秒。2年前よりもタイムを落としているのである。

 

「楽」に登坂したいのは分かるが「サボって」はいけない!という事を学んだ。


前半の「花立」を過ぎ後半戦の開始である。後半は散々なレースだった。「花立」を過ぎ登坂していた。しばらくすると急にペダルに力が入らなくなったのだ。

 

それまでは34×19Tでそこそこ上る事が出来ていた。しかし手のひらを返した様に上る事が出来なくなってしまったのである。


ハンガーノックや脱水症状ではないとは思う。でも力が全く入らないのだ。ギアは34×21Tor24Tで走行する事が多くなった。速度は極端に落ちた。

 

のろのろと上っていく事しか出来ない。自分たちのカテゴリーより後にスタートした選手たちにどんどん追い越されていく羽目になったのだ。


おまけに2年前ほどでは無いが腰が痛くなってきた。ダンシング走行で腰を延ばし痛みを緩和させる。力が入らない上に腰痛では速度は上がるはずもない。

 

正にヘロヘロの状態で後半は登坂が続いた。そしてようやくゴールしたのである。

 

もしかしたら前半の同じ速度で登坂するなら心肺機能を疲弊させるより筋力で上った方が得策ではないか?と思い付き登坂したのが裏目に出たのではないだろうか?

 

後半もその筋力で登坂を続ける体力が残っていなかったのではないだろうか?


という事は練習不足である。心肺機能が劣っている部分を補強したのは良かった。

 

でも特徴である筋力を延ばす練習が足りなかったのかもしれない。弱点に囚われ過ぎていたのかもしれない。


レース後にあの時こうしておけば良かった、ああしておけば良かったと色々と考えた。今となってはどうしようもないが‥‥。

 

「花立」の前の登坂で飛び出していたらもっと早くゴールで来たはず。でも飛び出さなくてもその後ヘロヘロになってしまった。もし飛び出していたらもっとヘロヘロになっていたのでは‥‥‥等と考えてしまうのだった。


いずれにしても終わってしまったレースだ。くよくよ考えても仕方が無い。タイムトライアルでは2つのミス。

 

1つ目は重くても良く回るホイール、つまり今回のタイムトライアルで使用したもの。そのホイールで走行を重ねていなかった、つまり練習不足が走行中ホイールに重さを感じてしまった。

 

良く回るという利点ばかり見ていてそれを(ホイールを)使いこなすという視点に欠けていた。


2つ目はパワー不足。坂の下からダンシングで(ギアは50×19Tや17T)坂道を上る練習が足りなかった。これも重くても良く回るホイールを自分のものに出来なかった原因だ。


ヒルクライムでは筋力で上れる自分の強みをもっと強くしつつ弱点である心肺機能の向上を図らなければならない事が分かった。


時間に依余裕はないが次のレースは8月25日の「八幡平ヒルクライム」だ。それまで強みの筋力の向上、そして弱点である心肺機能の向上に取り組んでいきたい。


レースに出てみなければ分からない事が今回は分かった。というか見つけた。今後の練習に生かしていかなければならないと痛切に感じている。

 

 

 

 


 第二回八幡平ヒルクライムに参加して


8月25日(日曜日)に開催された「第二回八幡平ヒルクライム」に参加してきた。タイムは1時間11分20秒。第一回の昨年のタイムは1時間13分54秒。2分30秒ほどタイムを更新する事が出来た。

 

自分がエントリーしたクラス(男子D)そして全体で何人の出走があったかはまだ分からない。男子Dクラスでは14位という結果だった。

 

レース前日の24日だった。コースの試走中(スタート地点から2km)に熊に遭遇!もう10~15秒ほど先に進んでいたら真横から襲われていたのかもしれない。今考えてもゾッとする。

 

秋田でも熊を目撃していた。まさか八幡平まで来て熊に遭遇するとは思ってもみなかった。


タイムを更新出来るとは走行中思いもしなかった。むしろタイムは昨年より遅くなるだろうと考えていたからだ。

 

レース前に車体故障の影響で10日近く自転車に乗る事が出来なかった。つまり練習不足。

 

またレース中は余りにも苦しくて登坂速度が出ていなかったのだ。とにかくゴールする事だけを考えて登坂していたのだ。


そしてレースそのものには直接関係ないがスタート前に冷や汗をかく出来事があったのだ。スタート30分ほど前にリアのタイヤがパンク‼ 替えのチューブは持参していた。しかしチューブ交換を行う時間はあまりにも少なかった。


幸い練習で使用しているリアのホイールを持参していた。ホイールの交換だけで済んだのである。

 

お陰でスタートには間に合った。しかし危機を脱したとはいえ心中は穏やかではなかったのである。


さて前日(24日)13時過ぎに現地の八幡平市に入った。前日の受付は14時から。14時にすぎに受付を済ませたその後車体を組み上げてコースの試走へ出掛けた。

 

 

下の画像は24日午後6時過ぎの岩手山

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最初にスタート地点近くのなだらかな坂を登坂。約1kmを3回ほど走行し身体を温めた。小休止の後コースの試走を行った。

 

コースとしては全長で19km。前半から後半にかけて勾配がキツい。おまけにスタート直後にいきなりキツい坂を上る。約2kmほどだ。

 

ここで大半が脱落する。自分は昨年その部分では脱落はしなかった。しかし程なくして先頭集団から離れてしまったのだった。


スタート付近から1km地点までの走行を4回繰り返した(1回目は2km地点まで登坂した。そして熊に遭遇したのである)

 

スタート直後の脱落を防ぐ為である。ギアは34×19Tで時速16~18kmを維持出来る様に登坂した。最初の登坂が一番苦しかった。

 

前日練習を休んだという事も影響したのだろう。すぐに息が切れて脚が重くなってしまった。考えていた通りスタート直後の坂は侮れない。


2回、3回と登坂を繰り返した。身体が順応してきたらしく1km地点まで速度を維持する事が出来る様になってきた。

 

レース前日なので無暗に試走を繰り返しても疲れが残りレースに悪影響を与える。4回目の登坂で試走を切り上げた。


そして宿に入った。夕食そして入浴。21時過ぎには就寝した。日本テレビ系では24時間テレビを放送している。

 

ラソン駅伝の4人目は日本テレビのアナウンサーである水卜麻美さんとなった事を伝えていた。

 


レース当日は午前4時30分に起床。宿の好意で午前5時から朝食を摂る事が出来た。有難い限りである。朝食後宿を出てスタート付近の指定駐車場へ向かった。

 

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車体を組み上げてウォーミングアップに出発。レースコース上でのウォーミングアップは出来ない。昨日走行したなだらかな坂を使用した。

 

出来るだけ心拍数が上がる様にした。50×19Tで登坂し坂を上り切る直前では力を出し切る様にした。やはりスタート直後のキツい坂が気になったのだ。

 

それを3回繰り返した。その後駐車場に戻り出走前の点検、補食&水分補給を行った。その時点でスタートの約30分前。


リアのタイヤの空気圧はやや低めにしてウォーミングアップに出掛けていた。レースではもっと空気圧を上げて走行しようと考えていた。それで一旦空気を抜き、あらためて空気を入れた。


すると嫌な音がしたのである。シューっと空気が抜けていく音だ。これはヤバい!決戦用のホイールである。このホイールでレースに出ようとしていたのだから当然だ。焦る!焦る!


替えのチューブは持参していた。しかしチューブの交換作業をしている時間は無い。幸い練習で使用しているホイールを持参していた。そのホイールに付け替えて出走する事にした。


普段慣れているはずのホイールの交換作業。しかし時間が無い中での作業なので今一つ手に付かない。

 

フレームにホイールを装着する時に使用するクイックリリースを一瞬見失ってしまいパニックになった。

 

急遽レースで使用する事になった練習用のホイール。空気を注入している時にまた空気が漏れたら‥‥などとネガティブな事を考えてしまった。


焦りながら戸惑いながらリアのホイールを何とか交換。

 

 

そしてレース中の飲み物、レース中に身に付けるヘルメット、手袋、シューズ等の準備に見落としは無いか確認。そして車の周りに私物を放置していないか点検。


決戦用ホイールのパンクという事件に焦りまくりの状態。何をやっても見落としがあるのではないか?と不安になるのだった。しかしスタート時間は迫る。

 

多少の見落とし(レースに必要なモノに関しては困るが)は目を瞑る事にしてスタート地点に向かった。幸い見落としは無かった模様だ。


スタートは各カテゴリー別。自分がエントリーしたカテゴリーの「男子D」のスタート時間は午前7時36分である。


その午前7時36分がやって来た。号砲一発!選手達がスタートつまり登坂を開始した。当初は34×19Tで登坂を開始しようと考えていた。しかし体力温存の為34×21Tで登坂を開始した。


思っていたより他の選手達の出足が緩やかだ。スタート直後のキツい坂を知っているのだろう。

 

無理をするより様子見をしている様だった。34×21Tのギアで十分先頭集団についていく事が出来た。しかしそれも約2km地点まで。


先頭集団から自分は徐々に離れていった。先頭集団の選手たちは会話が出来る程の余裕があった。

 

先頭集団が速度を極端に速めた訳ではなく自分の速度が落ちていってしまった感じだった。進めば進むほどそして時間が経過すればするほど先頭集団は離れてそして見えなくなっていった。


単独での走行となった。自分との闘いそして自問自答をする事になった。


それにしても苦しい。こんなに苦しくなるほどだったろうか?苦しくなるのが早過ぎないか?

 

そういえば自転車を修理していた間は練習が出来なかった。練習不足だからこんなに苦しいのだ。


またそれを除いたとしても全体的に坂を上る練習が足りなかった。特にキツい勾配の坂を登坂する回数が少なかった。だからこんなに苦しいのだ。

 

思い浮かぶのは練習不足の事ばかりだった。余りにも苦しくてレースを断念つまり棄権をしようと何度も考えた。自転車から降りればこの苦しみからは解放される。


しかし自分を送り出してくれた家族(家内と次女)に申し訳が立たない。八幡平まで来て棄権となればお金と時間を捨てる様なものだ。

 

それだけは嫌だった。昨年よりタイムはかなり遅くなるだろう。でもとにかくゴールには辿り着こう!と考え直したのだった。


それにしても全く速度が出なかった。時速で10km前後。一桁の速度になる事も度々だった。他の選手たちは難なく上っていく。自分一人だけ時間が止まっている様だった。


多少速度が上がるのは緩やかな所だけ。肝心のキツい場面では全く速度が上がらなかった。ダンシングを試みても速度は上がらないのだった。

 

とにかく目の前の坂を少しづつ上る事しか出来なかったのである。


そしてまたしても腰痛に見舞われた。その度にダンシング走行で腰を反らして痛みの軽減を図った。

 

やはりキツい勾配での走行(回数も時間も)が少ない影響だろう。腰が負荷に耐えられなくなり痛みが出るのだろう。

 

不思議なものでレース直後は別として時間が経過していくにつれて痛みは引いていくのだ。翌日には全く痛みは感じない。


先行している選手を追い抜く事はほとんど無かった。後続から来る選手たちに追い抜かれていく事が多かった。八幡平のアスピーテラインつまり今回のコース。

 

このコースは前半から後半の始まりにかけて勾配がキツい(だからと言って他がキツくないという訳ではない)


距離で言うと12~14km地点までがキツい印象を受けた。そこを過ぎれば下りや平坦部分がある。速度アップそしてタイム短縮が出来る。途中棄権を考えながらも何とかキツい区間をやり過ごした。


ゴールまで残り5kmを切るとそれまでのキツい走行がそれほどではなくなってきた。下りや平坦部分を利用し出来るだけ速度アップを心掛けて走行した。

 

そして頂上付近は霧がかかり始めた。いわゆる「ガス」である。山の天候は変わり易い。先日までは猛暑が続いていた。しかし夏と秋の空気が入れ替わったのでこのような気象となったのだろう。


先ほどまでは麓が眺められるほどだったが視界が急に悪くなった。視界としては50~100m位か。自分の周りにいる選手は視認出来る距離で走行している。

 

幸い少人数なので混乱は起きない様子だった。そうしているうちにゴールまでは残り4km、3kmと近付いていく。


ただ自分を含めてゴールが近付いてきている事が十分に分かっているらしく軽い牽制状態になった。

 

特にこの時点で優勝や入賞を狙う立場の選手達ではない(自分を含めて)ただゴール直前で他の選手には抜かれたくない!と考えている様だった(自分も)


他の選手達の先頭には出たくないという気持ちが手に取る様に分かった。他の選手に風受けになって貰い力を温存している選手もいた。

 

それぞれの選手がゴールを前にして思惑を巡らせていたのである。


自分は集団の先頭を僅かの時間の間引いてみたり、他の選手の後ろに付けて体力の温存を図っていた。他の選手たちと同様の事をしていたのである。


霧が濃くかかって(ガスって)ゴールまでの距離が分からない。よほど近くまで進まないと見えないのだろう。

 

沿道で応援している観客が叫ぶ。「ゴールまであと少しだ!」こちらとしては「あと○○メートル」と言ってもらえたら助かるのに‥‥と勝手に考えた。


そして濃い霧の中、突然ゴールが見えた。最後の力を振り絞りペダルに力を込めた。

 

周りに数人他の選手がいたはずだが今となっては追い抜いたのか追い抜かれたのかは覚えていない。ゴール直前で一人追い抜いたのは覚えているが‥‥


ゴール後自転車に取り付けているサイコン(サイクルコンピューター)を見た。走行距離やケイデンスを計測出来る。勿論走行タイムも。デジタル表示はタイムは1時間11分を示していた。


サイコンは時々正確な表示をしない事がある。従って表示されているタイムは鵜呑みには出来なかった。何しろ途中棄権を考える程の苦しさだったから尚更だ。

 

結局正式タイム(1時間11分20秒)とはそれほど違いは無かったがそれでも信じられなかった。でも昨年(1時間13分54秒)よりも2分30秒ほどタイムを縮める事が出来たので非常に嬉しかった。

 

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下山後、閉会式が行われた。各カテゴリーの選手たちのタイムが発表されていく。

 

1時間を切るタイム(56分台、57分台等)でゴールをした選手がいた事に驚く。

 

自分としてはあんなにキツい勾配の坂をどうやったら1時間を切るタイムで上り切る事が出来るのか不思議でしょうがない。


結果的にタイムは短縮出来た。トップレベルには程遠いがとりあえず満足だ。

 

しかしレース中の練習不足だからこんなに苦しい思いをするのだ!という思いそして考えだけは今後無くしていきたい。その為には練習不足に陥らない事が不可欠だ。


練習充分の状態で自信満々でレースに臨みたいものである。それでも思う様なタイムは出ない事はあるだろうしその方が多いだろう。

 

ただ今回の様にレース中に途中棄権を考える様なネガティブな状態、つまり練習不足でレースに臨む事だけは避けたい。


また今回はレース直前のトラブル(パンク)についてはラッキーだったと思う。練習用のリアホイールを持参していたからだ。

 

ただフロントのホイールは持参していなかった。幸い今回は持参していたリアだったので事無きを得た。


しかしフロントだったら‥‥‥と考えると怖ろしくなる。パンクなどのトラブルが起きるのはリアだと思い込んでいるからだ。

 

2019年で参加するレースはもうない。しかし来年以降、参加するレースにはホイールは決戦用1組を含めて2組持参していかなければなら無いと強く感じた。


荷物が多くなるのは厄介だ。出来るだけ荷物は少ない状態で遠征したいからだ。しかし機材トラブルでレースに参加出来ないよりははるかにマシである。


第二回八幡平ヒルクライムではレース前の準備つまり練習の大切さを学んだ。練習がレース中メンタルに与える影響は非常に大きい。

 

そしてレースでのトラブルに対する準備そして用意も学んだ。レースに参加するという当たり前の様な事も日頃の準備と心構えがあってこそ出来るものだと痛感した。


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